宇都宮地方裁判所 昭和39年(行ウ)6号の2 判決 1973年1月25日
宇都宮市寺町二七三番地
原告
日本共産党栃木県中部地区委員会
右代表者委員長
岸実郎
右訴訟代理人弁護士
佐藤義弥
同
斎藤義雄
鹿沼市蓬莱町一〇一一の一
被告
鹿沼税務署長
繁宮利平
右指定代理人
松沢智
同
石倉文雄
同
高野幸雄
同
大谷仁
同
等力有
同
朝倉巌
同
半田二百
同
橋本武雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の求めた裁判)
一、原告
被告が原告に対してなした別紙目録記載の課税処分は、これを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告
主文同旨
(当事者の主張)
第一、原告の主張
一、原告は日本共産党(以下単に党と言う場合もある)の下級組織である日本共産党栃木県中部地区党組織であつて、同じく下級組織であつた旧日本共産党栃木県宇都宮地区委員会と旧日本共産党栃木県上都賀地区委員会とが合併して成立したものである。
原告は右両地区を合わせた栃木県中部地区内の党員を構成員とする党組織そのもので、それ自体完結した一個の人的結合体として、いわゆる「人格なき社団」であり、同様に右合併前の上都賀地区委員会も上都賀郡、今市市、鹿沼市および日光市に居住する党員を構成員とした日本共産党栃木県上都賀地区党組織で、いわゆる「人格なき社団」であつた。
二、被告は、右上都賀地区委員会が主催して昭和三八年七月二七日、日光市公会堂において映画「日本の夜明け」(以下本件映画ともいう)を上映して入場者から入場料金を領収したとて、昭和三八年一二月一七日右上都賀地区委員会に対して別紙目録記載の課税処分(以下本件課税処分という)をなした。
三、しかしながら、本件課税処分は次の理由により、違法であるから取消されるべきである。
1. 上都賀地区委員会は自ら主催して本件映画を上映し入場料金を領収したことはない。
本件映画を製作したのは日本共産党中央委員会(以下党中央ともいう)であるが、しかし本件映画を実際に主催上映したのは上都賀地区委員会とは別個の組織である「日本の夜明け」上映実行委員会が中核となつた「日本の夜明け」を見る会である。
本件映画は党中央が、来たるべき革命のため日夜闘争している日本人民に勇気と力を与えることを目的として明治維新後今日にいたるまでの日本民衆の解放運動の歴史を映画化したものである。
本件映画が完成するや、これを観覧しようとする動きが労働者、農民の間にひろまつた結果、それらの大衆の間に本件映画を上映するための組織として、各地区(本件の場合は上都賀地区内の日光市)に「日本の夜明け」上映実行委員会が自発的にできあがつた。
右の上映実行委員会はいずれも各地区ごとに数名の実行委員をもつて組織され、実行委員には各種民主団体の代表者、労働組合、農民組合の幹部、文化人が就任した。
上映実行委員会は当該地区内の労働者、農民等によびかけて会員をつのり、実行委員会が中核となつて「日本の夜明け」を見る会を組織し、同会が本件映画の上映を主催したのである。
もつとも、本件映画は日本共産党にとつて大衆に対する宣伝教育上極めて価値高いものであつたため、党中央はこれを政治宣伝の武器として広汎な大衆を本件映画の観覧に動員するための上映運動を押し進める方針をとり、各下級組織および党員に対してこのような本件映画の上映運動に取り組むように指示する一方、各級党組織をして本件映画の有料試写会を開催させるとともに、党中央自らポスター等の宣伝資料を一括作成するなどし、各下級党組織および党員はこれに呼応して活溌に本件映画の上映運動を展開し、右運動の一環として「日本の夜明け」を見る会の会員券の売りさばきにも協力した。しかしこのような党組織および党員の活動はあくまで党の指導方針に基づく党組織および党員の政治的活動の一環としてなされたものであり、右活動が直ちに党組織が主催者として本件映画を上映したことを意味するものではない。党組織が自ら有料試写会を開催したのは本件映画の価値、内容を広く党外の活動家に理解して貰う必要上とつた手段であり、ポスター等の宣伝資料を党中央がまとめて作成したのも、党中央としては本件映画の上映運動を全国的規模で展開する必要上、そのような宣伝資料は各上映者が個々に作成するより、党中央が一元的に作成処理するのを便宜としたからであつて、この点は商業映画においてポスター等の宣伝資料は映画会社で作つて、これを上映の日時場所を空白にして全国の映画館に配布するのを通例とするのとなんら異るところがないのである。また党員が会員券の売りさばきを行なつたのも、各上映実行委員会には関係党組織がその一員として参加して一定枚数の会員券の割当をうけ、その売りさばきを一任されているため、その党組織所属の党員がその売りさばきのために奪斗したにすぎないのである。
右の如く上都賀地区委員会の補助機関である日光市委員会もまた、党中央の方針に従つて本件映画の上映運動に取り組み、「日本の夜明け」を見る会による本件映画の上映に積極的に協力したのであるが、本件映画の上映の主催したのはあくまで前記「日本の夜明け」を見る会だつたのである。
2. 仮に本件映画が被告の主張するように鈴木全也を中心とする日光市委員等によつて上映されたとしても、そのゆえに本件映画を上映したのが日光市委員会であると言い得ても、それにより直ちに上都賀地区委員会が上映したことにはならない。
すなわち、日光市委員会というのも、同市に所在する各細胞の指導機関であるとともにまたその集合体でもあり、このような二面をもつことは、地区委員会が地区の指導機関と地区の党員の集合体との両面を有することと全く同じである。しかして、映画の主催の主体たり得るのはいうまでもなく後者でなければならないが、このような一定の地域の党員の集合体としての市委員会と地区委員会との間には地域の広狭の差があるのみで法律上の性質になんらの差がなく、例えば市委員会が物品を購入し建物を借り一定の対外的取引関係を行なえば、その法律的効果は市委員会を構成する各党員の集合体としての市委員会に帰属することは明らかである。日光市委員会はこの意味において独自的存在性を明らかに保有し、代表者をもつて行動する点においては地区委員会と全くかわるところはない。
ところが被告は、市委員会は地区委員会の補助機関であるから団体性がないかの如く主張する。しかし、補助機関というのは日光市委員会の指導機関としての側面における活動であり、市委員会には前記の如く指導機関の側面のほかに集合体としての側面において独自に本件映画を上映することができることを見落した議論であるといわなければならない。したがつて日光市委員会は、上都賀地区委員会の補助機関であるからその行為の効果は同地区委員会に帰属するとして、同地区委員会に対してなした被告の本件課税処分は不当である。
3. 仮に上都賀地区委員会が本件映画を上映したとしても、入場税法上同税の納税義務者は自然人または法人に限ると解すべきであり、権利能力のない上都賀地区委員会は納税義務を負わないものである。
日本国憲法が採用している租税法律主義(三〇条、八四条)によれば、国が税金を課する場合、納税義務者、課税物件、課税物件の帰属、課税標準税率等の課税要件については勿論のこと、税徴収の手続も法律またはその委任に基づく政令等によつて明確に定められていることを要するところ、上都賀地区委員会が人格なき社団であつたことは前述のとおりであつて、このような一般には権利義務の主体たり得ない人格なき社団が、特定の法領域において例外的に権利義務の能力を擬制されるのはあくまで法律の特別の規定をまたなければ可能でなく、その旨の明文を存する所得税法、法人税法、相続税法においては格別、そのような規定を欠く入場税法においては人格なき社団に納税義務を課する余地は全くない。けだし納税義務者について規定する同法二条も「この法律において「主催者」とは、臨時に興行場等を設け、または興行場等をその経営者もしくは所有者から借り受けて催物を主催する者をいう。」と規定し、同法三条は「興行場等の経営者(当該興行場等について別に主催者がある場合を除く。以下「経営者」という。)または主催者(以下「経営者等」と総称する。)は、興行場等への入場者から領収する入場料金について、入場税を納める義務がある。」と規定するのみで、人格なき社団が納税義務を負う旨の明確な定めはなく、同法二三条は自然人、法人についてのみその納税義務の承継を規定し、人格なき社団のそれにはなんら触れていない。さらに、犯則に関する同法二五条ないし二八条をし細に検討しても、その可罰対象者のうちに人格なき社団を包含する趣旨をうかがうことはできない。ことにこの点に関しては、昭和三七年四月一日施行された改正入場税法二八条の原案には、いつたん人格なき社団に関する両罰規定が設けられながら、同案とともに同年二月二一日国会に提出された国税通則法案(一三条)中の、国税全般にわたつて納税義務者について人格なき社団を法人とみなす旨の規定案が、国会の審議の過程でこれを国税通則法の規定の適用のみに限ることに修正されて成立した結果、これにともない前記改正入場税法二八条も「国税通則法の施行等に伴う関係法令の整備等に関する法律」により削除された経緯があり、これによつても、解釈論としても同法が人格なき社団をも入場税の納税義務者として定めたものとは解することができないのである。
もつとも免税興行に関する同法八条一項の別表に掲げられる団体には法人格を有しないものが多いが、しかし前記のとおり同法が納税義務者に関する基本的法案において人格なき社団をも納税義務者と認める旨を明記しない以上、人格なき社団を納税義務者と解する余地はなく、基本法条をうけてそれに付属して定められた前記別表によつて基本法条に関する解釈を導き出すのは本末顛倒といわなければならない。結局入場税法の適用については別表にいう「社会教育関係団体」等とは、権利能力を有する団体だけをいうものと解すべきである。
また、現行の入場税法上納税義務者は明らかに主催者であつて入場者ではなく、そうだとすれば同法の建前は、主催者は納税義務者であると同時に入場税の実質的負担者であるといわなければならないから、入場税の消費税的性質からして同税の実質的負担者は入場者であることを論拠とする被告の所論は到底賛することができないものである。
更に入場税の納税義務者から人格なき社団を除外することは課税公平の原則に反するとの反論も事は立法政策の問題であつてとるに足りない。
4. 本件課税処分の対象たる本件映画は、明治、大正、昭和にわたる日本人民解放のための斗いの記録映画であり、これを上映するのは政治活動の一環としての教育、宣伝、啓蒙活動であるから、このようなものは娯楽税の一種である入場税がその課税対象たる催物として本来予想していないものである。すなわち入場税法は、昭和一三年いわゆる支那事変の戦費調達を目的とする臨時軍事費の財源に充当するためにはじめて制定された経過が示すとおり、娯楽をぜいたくな行為とみてこれに課税しようとするものであるから、入場税が予定する催物は娯楽行為としてのそれであり、本件のような真摯な政治活動としての教育、宣伝、啓蒙のための映画上映は入場税法にいう催物に該当しないというべきである。
5. 憲法二五条は国民に対し健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しているが、この権利の中には国民が本件のような映画を観賞し、自己の政治的教養をたかめることが含まれている。ところで被告は本件映画の上映に課税することにより、上都賀地区委員会および市民の文化生活を侵害したのであるから右課税処分は憲法二五条に違反する。
6. 仮に入場税法が娯楽的な催物だけでなく営利の目的としない政治活動、文化活動たる催物に対しても等しく入場税を課する趣旨であるとすれば、入場税法そのものが憲法の右規定に違反する。
四、上都賀地区委員会は本件課税処分に対して被告に異議の申立をなしたが、被告はこれを棄却したので、上都賀地区委員会は更に右棄却について関東信越国税局長に対し審査請求をなしたところ、同局長は右請求をなした日の翌日から三か月を経過しても裁決をしないので、本件課税処分の取消しを求めて本訴に及んだものである。
第二、被告の答弁および主張
一、原告の主張の一、二は認める。
同三の1は否認し、同三の2、3、4、5、6は争う。
同四は認める。
二、本件課税処分の根拠(要件)
本件映画は日本共産党が同党創立四〇周年記念映画として製作したもので、明治、大正、昭和にわたる過去約七〇年間の共産党およびその党員の活動記録等の実与フイルムを綴り合せたいわゆるドキユメンタリー映画である。
上都賀地区委員会の補助機関である日光市委員会はポスター、チラシ、宣伝カーにより、「日本の夜明け」上映実行委員会または「日本の夜明け」を見る会の名をもつて本件映画の上映宣伝および会場の借上げ等の上映準備をすすめ、あらかじめ特別観賞券と称する一枚一〇〇円の入場券を販売して入場料金を領収したうえ、昭和三八年七月二七日日光市公会堂において右入場券と引き換えに二五八名の多数人を入場させて、本件映画および映画「大あばれ孫悟空」の上映を実施したものである。
よつて被告は上都賀地区委員会が入場税法第二条所定の催物を主催しその入場者から入場料金を領収したものと認めて同委員会に対し原告主張のような入場税を賦課する課税処分をなした。
三、本件映画の主催者
本件映画は主として昭和三八年三月ごろから同年末ごろまでの間、日本共産党の下級組織等の主催のもとに全国各地で上映されたものであるが(上映件数約九〇〇件)、その主催者は外部に対しては「日本の夜明け」上映実行委員会または「日本の夜明け」を見る会の名によつているものの、右上映実行委員会は独立の組織性を認める余地のないもので、その実体は日本共産党の下級組織等にほかならず、本件においても上映実行委員会の実体は上都賀地区委員会そのものである。上映実行委員会なるものは、上都賀地区委員会が大衆を客寄せする効果を考え、上都賀地区委員会の名称を表面に出すことを避けて、上映の便宜のためにのみ一時的に用いた名称にすぎない。このことは次の点からしても明らかである。
1. 本件映画の上映は、上都賀地区委員会の上級組織である党中央ないしは県委員会の指導のもとに行なわれた。
本件映画は前記のとおり日本共産党が同党創立四〇周年を記念して作製したもので、党中央は本件映画の上映が党の選挙対策および党勢拡大の手段として極めて重要なものと考え、全国の各下級機関に対して本件映画の観客の動員目標を指令して上映運動に取り組ませ、その成果を機関紙「アカハタ」をもつて連日のように報道し、さらに「日本の夜明け特別観賞券」と称する入場券およびポスター等の宣伝資料をも党中央で一括作成しているのである。
2. 上映実行委員会は独立の組織として認めることのできないものである。
原告の主張する上映実行委員会なるものは、総会、役員選出および加入脱退の手続に関する取り決めもないばかりでなく、その構成員も不明確であり正式な事務所も存在しなかつたのである。
3. 本件映画の上映の準備、運営、管理等は総て上都賀地区委員会が行なつていたものである。
本件映画の上映は、上都賀地区委員会委員兼日光市委員会委員長鈴木全也の呼びかけで始まつたのであるが、その上映のための会場の借り受けは、上映実行委員会の結成日である昭和三八年七月一七日より以前の同年六月にすでになされて、またその申請は一応上映実行委員会委員長井上喜一郎の名義によつてなされてはいるが、実際は右鈴木全也が同じく党員である加藤トミ、西村セイの両名に依頼してさせている。したがつて少なくともその時点においてすでに上都賀地区委員会により本件映画の上映日時場所は決定されていたのである。それのみならず本件映画のフイルムは栃木県委員会を通して鈴木全也が借り受け、更に会員券は党が作成し、その売りさばきは党員が積極的に行なつているのである。
他方、いずれも党員ではない上映実行委員会の委員長と称されている井上喜一郎、同じく副委員長と称されている神戸政夫は、上映実行委員会の会合に出席しておらず、なんらの活動も行なわず、上映実行委員会の実態さえ知らなかつたものである。
4. 上映実行委員会としては本件映画上映による収支決算は行なつておらず、その収入は党に入金されている。
原告のいう上映実行委員会が本件映画を上映したとすれば、同委員会は入場料金を受領し、他方会場費、フイルム代等の諸経費を支出したはずであるから、同委員会としての収支決算がなければならないのに本件映画上映の収支決算の結果については、その委員と称する者も或る者は赤字といい他の者は反対に黒字といい、人によつてさまざまであるのは上映実行委員会が本件映画上映の収支決算を行なわなかつたことを意味するものである。それどころか本件映画の上映に際して、これにより利益金が生じた場合は、その一部はこれを地区委員会や市委員会に入金することになつていたのである。
5. なお、本件映画は前記鈴木全也が委員長をしている日光市委員会が中心となり上映したものであるが、日光市委員会は上都賀地区委員会の補助機関に過ぎず、日光市委員会の行動は上都賀地区委員会の行動として評価されるので、本件映画も上都賀地区委員会が上映したものと認めるべきである。
そもそも催物を主催するというに足る催物に対する主体性を有する者とは、自らの意思に基づき実質的に興行の主体となつて興行の運営および収支につき責任を負いうる地位にあり、その中心的存在として興行を主宰する者をいうと解すべきであつて、以上述べた点からしても実質的に本件催物を主催した主体は上都賀地区委員会であり、したがつて税法上の見地において同委員会に課税することは正当である。けだし、仮に同委員会が上映実行委員会のような形式を藉りたとしても、税法上はかかる名義、外形に囚われることなく行為の実質に照らして税法的評価を行なうべきであることは税法上の「実質課税の原則」に徴しても当然の事理である。
元来「実質課税の原則」は、課税公平の見地から納税者の租税回避の行動に対処するために認められてきたものであるから、本件のような事案において原告の主張を容認すれば、何人も容易にこのような上映実行委員会なる形式を作出してこれに名を藉りて映画、演劇等の催物を行ない、その終了後ただちにこれを消滅させてしまえば、入場税申告が開催日の翌月末日までであるところから(入場税法一〇条一項)課税庁において無申告を発見し調査を開始したとしても、その時は既に捕捉が不可能となり、容易に租税逋脱の目的を達しうる結果を来し、課税公平の原則に反することは明白である。したがつて、かかる租税の回避を防止するためにも実質課税の見地に立ち、実質的に興行の主体となつた上都賀地区委員会に対してなした課税処分は正当なものである。
四、人格なき社団も入場税法の納税義務者である。
1. まず原告は、特別規定のない入場税法では人格なき社団は入場税の納税義務者たり得ないと主張する。
しかしながら人格なき社団も、その構成員とは独立に存在し独自の社会的活動を営むものであること法人と異るところはなく、そのような実体に着目して、通説判例はこれに組織的統一性を有する社会生活の単位としての法律的地位を認めている。すなわち、人格なき社団は対外的には、その代表者を通じて自己の名において有効に私法上の契約を締結でき、その構成員のそれとは独立して有する社団自体の名誉ないし社会的信用は、自然人および法人のそれとならんで法律上保護され、対内的にはその財産は各構成員の共有に属せず「総有」に属する等、私法上人格なき社団の享有し得る権利ならびになし得る行為の範囲等については、社団法人に関する民法の規定を適用すべきものとされ、民事訴訟法上も当事者能力が認められている。そして行政法の分野においても各種行政法規がそれぞれの目的から、人格なき社団につき社団の目的、事業内容等の実体に応じて規定するものが少くない。したがつて人格なき社団も理論上も実定法規の解釈上も納税義務者となりうることはむしろ当然で、必ずしも法律による明確な規定を必要とするものではなく、それは結局当該租税法規が人格なき社団をも納税義務者に含める趣旨で規定されているか否かの解釈問題に帰着するのである。
なお、原告は、所得税法、法人税法、相続税法等には人格なき社団についてこれを納税義務者とする旨の明文の規定を設けているにもかかわらず入場税法にはかかる規定がないことをその主張の根拠の一つとしているが、所得税法等にそのような明文の規定が置かれているのは、これらの税の納税義務者はその性質上所得税法においては個人と法人、法人税法においては法人、相続税法においては個人にそれぞれ限定される関係上、その以外のものに納税義務を課するには特にその旨の規定が必要であるからである。
2. 入場税法は人格なき社団も納税義務者とする趣旨である。
すなわち、入場税法一条ないし三条によれば、入場税はいわゆる間接税の一種として、興行場等の入場についてその娯楽的消費支出に担税力があると認め、「入場料金」なる経済的負担に対して課せられるものであり、したがつて同税の納税義務者である「経営者」または「主催者」は、入場者から右課税対象となる「入場料金」を領収し、この領収した入場料金につき納税義務を負うものとして規定されているのであるから、右納税義務者は私法上の権利能力の有無にかかわらず、社会生活上現実に催物を行ない入場者から入場料金を領収する等「催物」を主催し得る実体とそのような法的地位を有するものであれば足り、したがつて、右「主催者」には人格なき社団も含まれると解すべきである。このことは同法八条が、免税興行の主催者として別表上欄に「児童、生徒、学生または卒業生の団体」「学校の後援団体」「社会教育法第十条の社会教育団体」等を掲げているが、これらは通常法人格を取得するに適さない団体や一般に法人格を有していない団体であり、特に社会教育法十条の社会教育関係団体の中には法人格を有しない団体も含まれる旨明記されている(同法一〇条)ことからも明らかである。
原告は人格なき社団が入場税法上の納税義務者に当らない理由として、同法二三条および二五条ないし二八条に人格なき社団が含まれていないことを挙げる。しかしながら右各法条はいずれも納税義務を定めた規定ではなく、単に徴税の実効を期するために設けられた規定であるから、必然的にその納税義務の不存在を前提とするものではない。かかる規定において人格なき社団がその規制に対象に加えられていないからといつて、入場税法の納税義務者は個人または法人のみであつて人格なき社団が入場税法三条の納税義務者に含まれないという原告の主張は理由のないものである。
五、本件課税処分および入場税法の合憲性
入場税法は興行場等への入場についてその娯楽的消費支出に担税力を認めてこれに対して入場税を課そうとするものであり、入場税の賦課により租税負担者が当然に憲法二五条一項に規定する「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができなくなるものでもなく、また国民の生存権の実現に努力すべき国の責務に違反するものでもない。
更に入場税法は政治活動、文化活動そのものに対して課税するものではなく、また同法の目的が前述したとおりである以上、入場税法そのものはなんら憲法二五条に違反するものではない。
よつて原告の憲法違反の主張はいずれも理由がない。
(証拠関係)
一、原告
甲第六、七号証、第九、一〇号証を提出し、証人江口義時、同鈴木全也、同井上喜一郎の各証言を援用し、乙第一号証の一ないし四、第二ないし第五号証、第七号証の一、二、第八ないし第一〇号証、第一四号証、第二〇号証、第二一号証の一、二、第二二ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇ないし第三三号証、第三四号証の一、二、第三五号証の一、二、第三六、三七号証、第三八号証の一、二、第三九号証、第四〇号証の一、二、第四一、四二号証、第五一号証の一、二、第六五ないし第七二号証および第七九ないし八一号証の成立を認め、乙第六号証、第一五、一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証の一、二、第一九号証の一、二、第六四号証の一ないし三、第八二号証の一、二、第八三号証、第八四号証の一、二、第八五号証の一ないし三、第八六号証および第八七号証の一ないし三の成立は不知、乙第五〇号証の一、二の成立は否認すると述べた。
二、被告
乙第一号証の一ないし四、第二ないし第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第一〇号証、第一四ないし第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証の一、二、第一九号証の一、二、第二〇号証、第二一号証の一、二、第二二ないし第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇ないし第三三号証、第三四号証の一、二、第三五号証の一、二、第三六、三七号証、第三八号証の一、二、第三九号証、第四〇号証の一、二、第四一、四二号証、第五〇号証の一、二、第五一号証の一、二、第六四号証の一ないし三、第六五ないし第七二号証、第七九ないし第八一号証、第八二号証の一、二、第八三号証、第八四号証の一、二、第八五号証の一ないし三、第八六号証、第八七号証の一ないし三を提出し、証人江口義時、同鈴木全也、同川俣良平の各証言を援用し、甲第七号証および第九、一〇号証の成立を認め、甲第六号証の成立を否認すると述べた。
理由
第一、原告の主張一、二は当事者間に争いがない。
第二、ところで原告は本件課税処分は違法であると主張するので、以下この点について判断する。
一、原告の主張三の1について
(一) 本件映画の製作およびその内容
本件映画は、日本共産党中央委員会が同党創立四〇周年を記念して製作したものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証の一ないし四によれば、その内容は、同党の唱導する革命運動の路線にそつてまとめられた過去約七〇年にわたる日本の大衆運動および日本共産党の活動状況を記録した長編記録映画であることが認められる。
(二) 本件映画上映に対する日本共産党の態度、方針
成立に争いのない乙第三、四号証、第七号証の一、二、第九号証、第二五ないし第二八号証、第三〇、三一号証、第三八号証の一、二および弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第六四号証の一ないし三によれば、次の事実が認められる。
日本共産党中央委員会は、昭和三八年三月ごろ、本件映画(旧版)が同委員会宣伝教育文化部の製作指導のもとに一応完成するや、これを同党の「目で見る綱領」であるとして絶好の宣伝手段とみなし、これによる大衆に対する政治宣伝を通じて、当時当面していた衆議員議員総選挙における同党候補の選挙運動の準備ならびに同党の機関紙である「アカハタ」およびその「日躍版」の読者拡大、新党員の獲得のために最大限に活用する方針のもとに、本件映画に全国で一〇〇万人の観客を動員する目標を立てるとともに、この目標を達成するため、「アカハタ」紙上に頻繁に本件映画の宣伝記事を掲載してその意義内容の周知に努める一方、党報等で、各下級党組織はそれぞれ独自の上映計画をたてて本件映画の上映運動を積極的に進めるように指令した。更に同委員会は、本件映画の上映方式についても、党外大衆を大規模に本件映画の観覧に動員するためには、労働組合その他の大衆団体に協力を求めてその参加のもとに同映画の「上映実行委員」または「日本の夜明けを見る会」を組織し、それらが主催して上映を進めることが有効である旨指導し、またその上映にあたつてはこれと併映する作品は中、短編の記録映画から選ぶようにとか、あるいは知事、市長の選挙が行なわれている地域ではその選挙期間中に本件映画の上映は党主催とすることを避けるようにというような細目にわたる上映上の指示も行なつた。
そして、党中央自身も昭和三八年三月二一日東京都委員会との共催で、東京中野公会堂で本件映画の特別有料試写会を開き、本件映画の完成を宣伝する一方、同年四月初旬全国いつせいに北海道、東北等一〇ブロツク別に各県の代表者一人を出席させて党中央の指導下に本件映画の上映運動に関する打ち合わせを行ない、その後全国各地で本件映画の上映が始まると、機関紙「アカハタ」の紙上に各地の上映日程を掲載すると共に、各地の党の下級組織および党員からの報告に基づいて全国の上映運動の活動状況とその成果を同紙をもつて大大的に報道したりなどした。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
更に党中央が、本件映画のポスター、チラシ等の宣伝資料を一括して作成して各下級組織に交付したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一四号証、および弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一五号証によれば、特別観賞券と称される本件映画の上映場所への入場券も党中央がまとめて作成してこれを同党の下級組織を通じて全国各地の上映機関に配布使用させたことが認められる。
(三) 全国各地の上映状況
成立に争いのない乙第二ないし第五号証、第八ないし第一〇号証、第二五ないし第二七号証、第三一号証、第三三号証、第三六号証、第三九号証、第四〇号証の一、二、第四一、四二号証、第八一号証および弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第六号証を総合すると、次の事実が認められる。
全国の日本共産党の下級組織および党員は、前記の党中央の指示に基づき、各自の動員目標の達成を目ざして活発な活動を行なつた。すなわち、前記のとおり昭和三八年三月二一日東京中野公会堂で東京都委員会が、党中央と共催して本件映画の特別有料試写会を行なつたのを皮切りに、翌二二日は大阪市において大阪府委員会が、同二八日は名古屋において愛知県委員会が各主催するなどして同年春に行なわれた地方選挙の期間中全国の大都市を中心としてしきりに党下級組織の主催による有料試写会が行なわれ、その後、同年五月から全国各地で本件映画の一般上映が行なわれるようになつたのであるが、それらの上映方式を見ると、大別して、共産党の下級組織が直接主催するものと、その実体はともかくとして前記のように党中央の指導に従い上映実行委員会ないしは「日本の夜明け」を見る会が主催する形式をとつたものとの二つがあつた。党が直接主催者となつたものとしては、例えば長野県南信地区委員会、青森県十和田市委員会、奄美地区瀬戸内群委員会等が挙げられ、一方上映実行委員会ないし「日本の夜明け」を見る会が上映主催の名義人となつたものとしては、栃木県下の各地区、岡山県美作地区、茨城県下妻市等があり、その他に実際に上映に至つたことまでは明らかでないが、そのための上映実行委員会ないしは準備会が結成されたものとしては、宮城県実行委員会結成準備会、名古屋市の「日本の夜明け」を見る会準備会、新潟県上映実行委員会、千葉県および各地区の上映実行委員会等が挙げられる。そして後者の場合でも当該県、地区の党組織は常にその中心的役割を果している。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(四) 上都賀地区における本件映画の主催者
(1) 本件課税処分の対象となつた昭和三八年七月二七日日光市公会堂で上映された本件映画について、その名義上の主催者が「日本の夜明け」上映実行委員会または「日本の夜明け」を見る会であることについては、前記のとおり当事者間に争いがない。しかしながら入場税法三条にいう「主催者」とは、実質的にその責任において催物を主催する者をいうのであつて、単なる主催の名義人にすぎない者はそれに当らないと解すべきであるから、本件の場合もその名義にとらわれることなく実質に着目して、その主催者を認定しなければならない。
よつて検討するに、証人鈴木全也は「本件映画を上映するについて日光市委員会委員長である鈴木が、日光市の優秀映画鑑賞会の会長である井上喜一郎に、本件映画を上映するため上映実行委員会を作ることを持ちかけ、その賛同を得て、まず日光市委員会と右優秀映画鑑賞会でその準備会を作り、同会として三〇位の団体、個人に参加を呼びかけた結果、昭和三八年七月一七日午後六時日光市稲荷町公民館に鈴木、井上のほかに、わらび座公演実行委員会、全日自労日光分会、民主青年同盟の所属員のほかに個人参加者一、二名を含む合計八ないし一〇名位が集まり第一回の上映実行委員会を開いたこと。」「そこで上映実行委員会の委員長に井上喜一郎、副委員長にわらび座公演実行委員会の代表神戸政夫、事務局長に鈴木がそれぞれ選出され、会員券を一人一〇〇円として三〇〇名の入場者を見込んだ三万円の入場料収入の予算を定め、その会員券を作成することおよび上映日時場所を決定したこと。」「その後、上映実行委員会は会員券の作成、会員募集、会場を借受け、その他宣伝活動を行ない、同月二四日には第二回目の会合を開き、同月二七日の上映の会場作り、映写機借入等の任務分担を決めたこと。」「そして同月二七日、本件映画が上映実行委員会の主催のもとに上映されたがその一週間ないし一〇日後に上映の収支決算のため第三回の会合を開き、鈴木において会計報告を行ない、その結果生じた一、〇〇〇円程の黒字はこれをわらび座上演実行委員会に寄付した。」旨証言し、証人井上喜一郎もほぼこれに添う証言をしている。
(2) しかしながら、証人川俣良平の証言および同証言によりいずれも真正に成立したと認められる乙第八二号証の一、二、第八三号証、第八四号証の一、二、第八五号証の一ないし三、第八六号証、第八七号証の一ないし三によれば、前記井上喜一郎、神戸正夫らの本件映画上映関係者はかえつて税務署係員の本件映画上映についての調査に対して、次のように述べている。
すなわち前記井上は、「私は個人として上映実行委員会に参加したが、上映実行委員会の会合には一度も出席したことはなく、その通知も受けたことがない。したがつて委員長が誰れであるか、また上映の結果収支決算がどうなつているか知らない。本件映画上映については、日光市委員会委員長の鈴木全也が責任者である。会場の借上申込み、消防署への届は、私の名義になつているが、それは鈴木に頼まれ名義だけを貸したものである。私は上映当日映写の助手の仕事をしたが、入場券の販売等はやつていない。」旨答えている。
(乙第八二号証の一、二)
前記神戸は、「私は個人として上映実行委員会に参加したが、上映実行委員会の会合には出席したことはなく、その通知もなく、会合が開かれたこともよく知らない。本件映画上映の企画等は鈴木が責任者としてやつていた。私は実行委員だが入場券の販売を少しやつたほかは、仕事はほとんどやつていない。また本件映画上映の収支決算は、報告を受けていないので知らない。」旨答えている。(乙第八五号証の一ないし三)
日光市委員会委員である加藤トミは、「私と西村セイは共に上映実行委員であるが、鈴木に頼まれ私と西村で日光市公会堂の使用許可申請を井上の印鑑を借り井上名義でするとともに、使用料も同時に支払つた。私と西村は、上映実行委員会の会合に出席した。本件映画上映の収支決算は赤字であつた。」旨答えている。
(乙第八七号証の一ないし三)
前記鈴木は、「私が上映実行委員会の責任者であり、本件映画上映の収支関係は赤字だつたので、各実行委員が右赤字を分担処理した。」旨答えている。(乙第八三号証および第八六号証)
(3) また証人川俣良平および前記乙第八七号証の二によれば、本件映画上映の会場である日光市公会堂の使用許可申請手続は、証人鈴木が上映実行委員会の結成日であると証言する昭和三八年七月一七日より以前の同年六月中に既に上都賀地区委員会委員兼日光市委員会委員長である鈴木全也の依頼により、日光市委員会委員である加藤、西村の両名が前記井上名義でこれをなしていること、本件映画上映のため使用された入場券および宣伝用チラシ各五〇〇枚の印刷は、鈴木が有限会社中津印刷所に注文し、印刷代金の一部(残代金当時未払)も鈴木が支払つていること、および上映実行委員会にはその構成、機関、活動等を定める明示黙示の規約は存在しないこと等が認められ、右認定に反する証拠はない。
(4) 右(2)に引用した証拠に(3)および前記(一)ないし(三)に認定した各事実をも考え合わせると、前記(1)の証人鈴木全也、同井上喜一郎の各証言はにわかに措信できず、むしろ前記(2)に引用した各証拠によれば、前記井上は上映実行委員会の委員長、前記神戸はその副委員長とされながら、同人らは非党員であつて上映実行委員会の会合には出席したことがなく、その議事や決定を関知しておらず、上映後の収支決算の報告もうけたことはないこと、同人らは単に本件映画の上映についてポスター貼りや入場券の売りさばき等に協力したに過ぎないことが認められ、この事実に右(3)および前記(一)ないし(三)に認定した各事実を考え合わせると、本件映画上映の企画、運営等の重要事項は実質的には、当時鈴木全也が委員長をしていた日光市委員会において決定し、その実行も主として日光市委員会委員がこれに当つたものというべきである。前記各証処によつても上映実行委員会の存在したことはこれを認めうるところであるが、本件においては同委員会は単に前認定の党中央の指示に従い日光市委員会が対外的に観客動員の効果を上げるために設置したもので、もつぱら大衆動員の任務を担つてポスター貼りや入場券の売りさばきに活動したにすぎず、到底本件映画を独自に主催したものとはいえないものである。
したがつて、本件映画上映の主催者は前記上映実行委員会ではなく、これを企画、運営した日光市委員会にほかならないというべきである。
(5) しかしながら、成立に争いのない乙第五一号証の二(日本共産党規約)によれば、市委員会の性格は次のとおり規定されている。
すなわち、当時の同規約第一五条ないし第一八条によれば、日本共産党の基礎組織は地域、経営につくられる細胞であつて、その直近上級組織は地区組織であること、市委員会はその中間において必要に応じて作られる細胞群委員会の一種であつて、単に地区委員会の補助機関としての地位を認められるものにすぎないこと、すべての各級党組織においては意思決定機関として各級党会議とその執行機関として各級委員会が設けられているのに(地区委員会が地区党組織そのものを意味することがあるのは前記第一のとおり)、細胞群委員会には右の補助機関としての特質からこれに対応する意思決定機関の設置はないことが明らかである。
これによつてみれば、市委員会等の細胞群委員会は党規約上独自の党組織体をなすものとは認められないのである。
そうだとすれば、日光市委員会が右の市委員会として上都賀地区委員会の補助機関であることは当事者間に争いがないから、日光市委員会がなした本件映画上映の主催行為もまた独自の党組織をなさない同委員会をその行為主体とは認めがたく、それは同委員会が上都賀地区委員会の補助機関としてなしたものと認めなければならないから、結局本件映画の上映を主催した主体は上都賀地区委員会であるというべきである。
よつてこの点に関する原告の主張は理由がない。
二、原告の主張三の2について
(一) 原告は、人格なき社団は本来権利義務の主体たり得ないものであるから、特定の領域に限つて人格なき社団に義務を負わせるためには法律の明確な規定を必要とすると主張する。
思うに、人格なき社団は、団体としての組織を備え、代表の方法、総会の運営、財産の管理その他社団としての主要な点が規則によつて確定し、代表機関の行為によつて社会的活動を営むとともに構成員全体のために権利を取得し義務を負担するなどして、実際には法人と同様の活動をなしているものであつて、ただ法人格を有しないため法人格の存在を前提とする法律の規定を全面的には適用ないしは類推適用することができないのである。したがつて、人格なき社団もその社会的経済的実体においては法人と異るところがない以上、人格なき社団に実質的には権利義務の主体たり得る地位を認めなければならないことは民事訴訟法四六条に徴しても明らかであつて、結局人格なき社団が納税義務を負うか否かは、入場税法が納税義務者として人格なき社団をも予定しているかどうかによつて定まるものである。
(二) よつてこの点を考究するに、入場税の納税義務者に関する同法二条、三条の規定のみでは果して同税の納税義務者のうちに人格なき社団が含まれるかどうかは明確でないが、そもそも入場税法は、興行場等への入場者について入場の対価として入場料を支払うその消費的支出行為に担税力があると認め、その入場料金について課税するものであるから、入場税の実質的負担者は入場者であつて、同税の納税義務者とされている「主催者」または「経営者」ではなく、それらの者が納税義務者とされているのは単に徴税技術上の必要に基づくものと解すべきである。そうだとすれば入場税法に規定する納税義務者たる「催物の主催者」または「経営者」とは、現実に音楽、演劇等の催物を企画し、入場券を発行して入場者から入場料金を領収する等の社会的活動をなしうるものであれば足り、法人格を有する社団たるとこれを有しない社団たるとを問わないというべきである。けだし、右のように解さなければ、入場税の実質的負担者が入場者であることからして、その催物の主催者が法人または個人である場合には入場税を負担するのに対し、人格なき社団である場合には入場税を負担しないですむ結果、公平の原則に反することは明らかである。
原告は人格なき社団が入場税の納税義務者である主催者に当らない根拠として、入場税法二三条は納税義務の承継について法人、個人の場合のみを規定していること等種々の論拠を挙げている。
しかしながら入場税法二三条および同法二五条ないし二八条はいずれも納税義務者そのものを規定したものではなく、また同法二八条の改正の経緯について、原告主張のような事実があるとしても同条が右のとおり納税義務者を規定したものではないのであるから、右条文はいずれも原告の主張の根拠となるものではない。更に所得税法、法人税法、相続税法にそれぞれ人格なき社団を法人とみなす旨の規定があるのは、これらの法律が納税義務者を法人または個人に限定して規定しているため、人格なき社団をも納税義務者とするについては特にこれについての明文を必要としたからにすぎず、また原告の入場税法八条一項の解釈に関する所論は前記の人格なき社団も同法三条の主催者として入場税の納税義務者たり得る旨を判示した理由に照して採用することができない。
よつて、この点に関しても原告の主張は理由がない。
三、原告の主張三の3について
原告は、入場税法がその課税対象として予定している催物は、同法の制定経過からしても娯楽を目的とした催物であり、本件のような政治活動の一環としての教育、宣伝、啓蒙のための映画は、入場税法にいう催物に該当しないと主張する。
しかし入場税法には、特に政治活動たる教育、教育、宣伝、啓蒙のための映画を同法の催物から除外してこれを娯楽を目的とするものに限定する旨の規定はなく、原告の主張は理由がない。
四、原告の主張三の4について
原告は、被告が本件映画の上映に課税することにより、原告および市民の健康で文化的な最低限度の生活を侵害したものであるから、本件課税処分は憲法二五条に違反すると主張する。
しかし原告は本件課税処分により具体的にどのような原告および市民の健康で文化的な最低限度の生活が侵害されたかについてなんら主張立証を行なわない。よつて原告の主張は、その余を判断するまでもなく主張自体理由がない。
五、原告の主張三の5について
原告は、仮に入場税法が本件のような営利を目的としない政治活動、文化活動に対しても入場税法を課する旨規定してるとすれば、入場税法そのものが憲法二五条に違反すると主張する。
しかしながら入場税法は前述の如く主催行為に対して課税するのではなく、興行場等への入場行為に対して課税するものであるところ、入場料金を支払い興行場等に入場する行為に課税しても、それにより直ちに入場者の健康で文化的な最低限度の生活が侵害されるということはできないから、この点に関する原告の主張は理由がない。
以上説示したとおり本件課税処分には、原告の主張するような違法は存在しない。
よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 須藤貢 裁判官 田辺康次 裁判官 川崎和夫)
目録
一、課税処分年月日
昭和三八年一二月一七日
二、課税金額
金二、三四〇円
三、課税処分の対象たる催物
1. 開催年月日
昭和三八年七月二七日
2. 開催場所
日光市公会堂
3. 催物の内容
映画「日本の夜明け」